河北潟沿岸土地改良区 (水土里ネットかほくがた)

河北潟沿岸土地改良区の概要

地域のあらましや事業の推移など、河北潟沿岸土地改良区の概要を紹介しています。

1 土地改良区(水土里(みどり)ネット)とは

土地改良事業(農地の区画整理や用排水機場、水路、農道などの土地改良施設の新設、更新、管理など)を行うための団体として、土地改良法により都道府県知事の認可を受けた営利を目的としない法人です。
土地改良区の愛称を水土里ネットと言い「水」は農業用水や地域用水、「土」は土地や農地、土壌、「里」は農村空間や農家・非農家の生活空間を表しています。「水土里」は豊かな自然、美しい景観を意味し、おいしい水、きれいな空気などを表しています。
農村に住む人も、都会で暮らす人も、みんなが「環」(ネット)になって、大切な財産である「農村」の明日を築いていこうという思いが込められています。

2 水土里ネットかほくがたとは

河北潟周辺の客土(*1)を対象として防水堤の築立(つきたて)(*2)、排水路の改修及び大野川逆水門の管理を目的に昭和27年3月に設立されました。
国営河北潟干拓と併せて行われた土地改良事業完了後(昭和49年4月)は、国・県営造成の排水機場等の維持管理を主体とした業務を行っています。
現在、河北潟周辺にある23の排水機場の維持管理を行っており、大雨の時には、排水ポンプの運転により農地はもとより住宅地の浸水防止につとめ、地域の暮らしを守っています。

(*1)客土とは、ある土地になんらかの目的をもって他所から土を搬入すること。
    土地改良事業では、排水対策のための田面嵩上げを目的として行われるもの。
(*2)築立(つきたて)とは、堤防を築くときに、土を盛り立て所定の断面に仕上げること。

3 河北潟沿岸地域のあらまし

稲刈りの昔と今河北潟沿岸土地改良区は、河北潟周辺の2市2町(金沢市、かほく市、津幡町、内灘町)を区域とし、わずかに集落の周辺や河川の堤防沿いに畑があるほかは、全て田んぼです。 この地域は河北潟に向かってゆるやかに傾斜する低い土地のため、昔は少し雨が降っただけで1週間も水か引かないという「水害とぬかるみのような湿田との闘い」が続いたところでした。
しかし、昭和38年以降、国(農林水産省)の手によって河北潟干拓事業と併せて行われた周辺土地改良事業により排水機場や排水路、河北潟湖岸堤防などが造られたことで、河北潟周辺農民の永年の夢であった乾田化が実現し、県下有数の穀倉地帯へと生まれかわりました。
近年、金沢市近郊では住宅団地、道路などの建設などが多くなり、はじめ3,275haあった農地面積は、平成28年4月1日現在1,935haまでに減少し、また農家数も年々減ってきています。
なお、干拓前の河北潟は2,200ha以上に及ぶ大きな潟であり、蓮が大量に自生することから「蓮湖」とも呼ばれていました。

4 機構図

河北潟沿岸土地改良区機構図

5 組合員

区分 組合員 総代定数 役員定数
行政区 選挙区(被選挙区) 理事 監事
かほく市 第1選挙区(被選挙区) 254 6 2 1
津幡町 第2選挙区(被選挙区) 219 6 2 1
第3選挙区(被選挙区) 512 11 3
金沢市 第4選挙区(被選挙区) 1,007 20 6 1
第5選挙区(被選挙区) 457 13 3
第6選挙区(被選挙区) 648 12 4
内灘町 第7選挙区(被選挙区) 325 5 2 1
3,422 73 22 4

6 沿革

(1)事業の推移
河北潟の潟緑新開の記録としては、正保3年(1646)のものが最も古いものです。しかし、開墾はおそらく河北潟の後退とともに、それ以前から休みなく継続されてきたものであり、河北潟周辺の諸村の歴史は 潟緑新開とともに始まっていると言えます。
河北潟を埋め立て干拓して農地に切り開こうという試みは古くから何度も繰り返されており、江戸時代末期の嘉永4年(1851)に行われた銭屋五兵衛の埋め立て工事は、翌年の河北潟投毒疑獄事件による銭五の獄死と絡んで有名です。
この地域の区画整理は、明治年間に耕地整理法に基づき一部実施されているが、地域全体については、昭和26年以降、積雪寒冷単作地帯振興臨時措置法(通称:積寒法)に基づき用排水改良、区画整理、暗渠排水、客土等の事業が昭和40年代の前半までに実施されています。
潟周辺の排水の抜本策は、昭和38年から60年の国営干拓事業と併せて行う排水改良事業による10カ所の排水機場の建設を中心に県営及び団体営かんがい排水事業によって行われました。
また、県営湖岸堤防事業(昭和42~47年)により13カ所の自然排水樋門が設けられました。
しかし、その後の流域内の宅地開発等により流出量が増大し、さらに地盤沈下が著しいため現状施設での洪水対応が出来ず、湛水被害が甚大となりました。このような打開策として、県営湛水防除事業(平成4~19年度完了)により11カ所の排水機場が新たに建設されました。

(2)組織の変遷
昭和26年から始まった積雪寒冷地対策事業を行うため、土地改良区の設立が各地域で相次ぎ、昭和26年~37年の間に31件に達しました。
このような中で、地域全体の客土を対象として防水堤の築立、排水路の改修及び大野川逆水門の管理等を目的に昭和27年3月河北潟沿岸土地改良区が設立されました。現在は国・県営造成施設の維持管理業務を行っています。

昭和25年11月25日 河北潟沿岸土地改良区期成同盟会設立
河北郡宇ノ気町、内灘村、大場村、八田村、花園村、井上村、中条村、英田村及び金沢市の一部(旧川北村)の標高1m線(1,130ha)を受益区とする。
昭和27年3月28日 河北潟沿岸土地改良区設立(石土改区第81号)
昭和38年 国営河北潟干拓建設事業着手
昭和42年~47年 県営湖岸堤防事業(河北潟)
昭和42年10月 国営河北潟干拓附帯土地改良事業施行に伴い、同事業の排水・用水受益区域標高2m線(2,603.7ha)までの区域を受益区域とする。
昭和44年10月 大宮川、血の川、柳瀬川、二日市悪水川の改修に伴い、金沢市内の北陸線以北、浅野川以東の標高2m線以上の75.9haを地区編入。また、金沢港の開発により75.9haを地区除外(大浦地区)し、受益区域を3,275.3haとする。
昭和44年~50年 県営ほ場整備事業(河北潟東部)
昭和47年~54年 県営広域営農団地農道整備事業(河北潟周辺)
昭和48年 国営河北潟干拓附帯土地改良事業完了
昭和49年4月1日 国営造成施設を河北潟沿岸土地改良区が管理する。(管理受託)
(10排水機場、周辺用排水路、3河川、防潮水門)
昭和50年3月 国営造成の3河川が金沢市の管理となる。
(二日市悪水川、血の川、大宮川)
昭和51年~53年 県営用排水施設整備事業(木越地区)
昭和51年~57年 県営かんがい排水事業(八田地区)
昭和54年~57年 県営基幹排水対策特別事業(東蚊爪地区)
昭和55年 防潮水門が石川県管理となる。
昭和61年 国営河北潟干拓建設事業完了
宇ノ気排水機場が石川県管理となる。
平成4年 県営湛水防除事業(金沢地区)着手
平成9年~12年 県営基幹水利施設補修事業(河北潟沿岸地区)
(潟端南、八田、大場、木越、大浦排水機場)
平成12年

県営湛水防除事業の排水機場(10機場)完成
国営造成施設管理体制整備促進事業(管理体制整備型)着手

平成13年3月 農林水産大臣表彰受賞
平成15年 県営湛水防除事業(金沢地区)完了
平成16年 遠隔監視システム導入
県営湛水防除事業(津幡地区)着手
平成18年 新農業水利システム保全対策事業着手
平成19年 県営湛水防除事業(津幡地区)完了
平成22年~24年 県営用排水施設整備事業(指江地区)
平成24年1月23日 東蚊爪町土地改良区吸収合併